うまくならない、という意思〜スガシカオ「アストライド」


    どんなにヘタクソでも何年もやっていれば、程度の差こそあれ、誰でもそこそこうまくなる。それで「エヘヘッ」とおもう人と、「何だかなぁ・・・・・・」とおもう人にたぶん分かれる。


    昔、ぼくが2年ほどつづけた華道「草月流」でも、初級レベルで基本形と呼ばれるフォルム(型)があって、3つの草木を生ける角度がそれぞれ決まっていた。そこそこ続けていれば、それぞれの草木を所定の角度で刺せば、そこそこの見栄えがする作品になる。


    だが今度は、そのフォルムを脱け出して、なおかつ、カッコイイ作品にするのに悪戦苦闘する。ちょっとした変化をくわえるだけでは、なぜかとたんにビンボー臭くなるから。そこを打破するには膨大な時間とエネルギーがいる。それほど誰でもカッコ良く見えるフォルムとは、強力な「牢獄」でもある。そこを脱け出せないまま、根性無しのぼくは教室から足が遠ざかってしまった。


    さっきFMをきいていたらスガシカオさんが出ていて、メロディーにすんなりと載ってしまう歌詞を、できるだけ自然に字余りにするのに苦労しました、と話していた。メロディーにすんなりと載らないノリ、それをさがすということ。