自縄自縛のくせ〜東京新聞💘8月15日朝刊8・9面「いとうせいこう・金子兜太対談」

    さいたま市の公民館が憲法九条を詠んだ市民の句「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」を掲載拒否したことから、対談が始まる。
    いとうがまず指摘する。「こういう自粛という形で、権力が上から高圧的にではなく、役人が下から自分たちで監視社会みたいにして、お互いに縛っていく」

 
    すると、ミクロネシア終戦を迎えた俳人の金子はこう応じる。「旧制高校に入ったころに中国との戦争が始まって。そのころの空気の中で、官僚とかお役人とか、いわゆる治安当局が、こういう扱い方をしてました。あのころは治安維持法が基準ですが、みんな自分たちでつくっちゃうんですよ」


    いとうは、国分領一郎の著書を一部引用して話を広げる。「自由を担いきれないので、自分から手放してしまう人たちがいると。手放した人たちにとっては、自由を求めて抵抗している人がうっとおしい。なので、その人たちを攻撃してしまう。そうすると、権力がやらなくても、自動的に自由を求める人たちの声がだんだん小さくなってしまう。だから自由っていうものを背負うことをもっと楽しめる社会にしなければならないというふうに彼(国分)は言っている」


    また、いとうは、先の九条の句について作家としての羞恥心についても率直に語っている。「名もない表現者の句がそのような象徴となるのは、自分がある程度のプロとして恥ずかしい」と。そういう感受性がまるでなかったことに、スチャラカは呆然としていた。