我を殺して本質ににじり寄る〜料理家・辰巳芳子のシンプルな凄み

 81歳のかくしゃくとした料理家の言葉にしびれた。
 近頃、テレビのドキュメント番組を観ながら、胸が熱くなることが多い。先週は、茂木健一郎さんがホストをつとめるNHK「プロフェッショナル〜彼らの流儀」も良かった。WHOのメディカルドクターとして、鶏インフルエンザなどの対策に世界を駆け回る女性の話だった。
 今夜の「情熱大陸」辰巳芳子さんの言葉に、ぼくはしびれた。
「脂ののっている鯖(さば)に向っていくことで、料理人はその我を消すことになる。それがいい料理につながる」
 でも、この一文だけを引用しても伝えられないな。テクニックや情報はあふれている。こじゃれたイメージや音楽にラッピングされて、それらが盛んに流通してもいる。だけど、こういう本質ににじり寄ろうとする言葉は少ない。
 亡き父親の看病を通して、父の好物だったというセロリのポタージュスープを繰り返し、彼女はつくり続けた。それが彼女の「いのちのスープ」の出発点なのかもしれない。丁寧に炒め、蒸らし、その湯気一粒さえ無駄にせず。時間をかけてつくる。彼女の野菜スープを学び取ろうと、多くの人たちがいま彼女のもとに集まっているという。
 子どもたちの食育に情熱を燃やす一方で、おいしいハムづくりにも情熱を燃やし、湯布院の高級旅館の調理場では、料理人を前に自ら実践して教えている。ブイヤベースを真似て、鯖の骨から味噌に加えるダシをとり、鯖田楽を作る。近い将来、煮干さえ簡単に手に入れられなくなる日に備えるためだと、料理人たちに説く。
 近くを見すえ、遠くを望む。あるいは遠くを望むからこそ、見えてくる近くがある。その主客はあっさりと逆転する。だから大切なのは主でも客でもなく、観ること。全身で観つづけること。厨房に立たないものたちに、そんな眼は持てない。それは上手い、下手の問題ではない。 
 テレビやパソコン、ラジオにアクセスしない日をつくる。どう情報を断ち、どう棄てるのか。簡単にはいかないけれど、そこからだな。