斉須政雄さんの言葉〜厨房から生まれる料理みたいな「本質」

 調理場という戦場 ほぼ日ブックス 
 ひさしぶりに「ほぼ日」を見ていて、斉須さんの言葉『調理場という戦場』を見つけた。静謐(せいひつ)で、贅肉(ぜいにく)のない言葉だ。ぼくにはどこか聖書めいて響いてくる。なんども読み返すだろうし、その度に胸にグッとくる箇所は違うだろう、そんな言葉だ。
 港区三田にあるフレンチ「コートドール」のオーナーシェフ。その言葉の向こうに、何の衒(てら)いもない、彼の店の真っ白な什器の映像がうかぶ。ほぼ毎年一度は、夫婦でここのランチに出かけている。
 一事が万事―ちゃんとした耳と眼と口をもっている人なら、厨房という場所からでも世界をきっちりと見渡していて、本質をつかまえている。おそらくインターネットも必要ない。自分をちやほやする人も寄せ付けない。

思いどおりにならないときに
人はいちばん
自由を感じられるのではないでしょうか

 今日のぼくはこの言葉に胸を撃ちぬかれた。すげぇなぁ、言葉は簡単に嘘をつけるように見えるけれど、やっぱりつけないんだと改めて思う。
 同時に、自分の胸ポケットにはいったい、どんな言葉があるのかと思うと急に不安になる。こんな日々きれいに保たれた包丁研ぎのような言葉を目の当たりにすると、自分が木っ端微塵にくず折れそうで正直恐い。
 ぼくも持っている『調理場という戦場』(ほぼ日ブックス)が、今月18日に幻冬舎文庫から刊行されるらしい。