著者の「わおっ!」に耳を澄ます


 普通の仕事をほんの少し超える「何か」が、川田さんにとっての「レベル11」。例えば宿泊客である著者の依頼で、ズボンプレッサーを部屋に持参した帝国ホテル大阪のポーターが、ドア前で自身の靴を脱いで部屋に入ってきたことが、一例として紹介されている。


 しかし何よりも、多種多様な職場で「レベル11」を見つける度に、「わおっ!」と心を躍らせている著者の笑顔が行間から立ち上がってくる。それが読み手の口角まで引き上げてもくれる。50代になられてもそんな心を育まれていることに、改めて驚かされる。「仕事の最終的な目標は人間的成長」と信じる営業職の生き方が凝縮されている。一案として、巻末の『「おわりに」にかえて』から読まれることをおすすめしたい。

「ウメジャン」ファンク


「梅じゃね?」でもなければ、「梅じゃん!」でもなくてウメジャン。梅雨入り前後に出回る青梅を、この5年ほどジュースとジャムにしている。夏バテ防止用で、その作業時期を「ウメジャン」と勝手に呼んでいる。学生時代に1年間暮らした韓国でキムチを漬ける時節を「キムジャン」と呼ぶので、それを真似しただけ。


「ファンキーな生き方ぁ〜        ファンキーな死に方ぁ〜♪」


 青梅を4キロ買ってきて水洗いし、爪楊枝でヘタをとってから2キロは2日ほど放置していると、甘酸っぱい匂いを放ちながら黄色くなる。ジャムはそれに熱湯をかけて2分ほど浸け、実をふやかしてから片手鍋で白砂糖とコトコト煮る。溶けた砂糖を吸って膨らんだ実を、時おり木ヘラで押しつぶす。
 残り2キロのジュース用は、ジップロック2袋に分け入れて冷凍。それを出してガラス容器に氷砂糖と交互に、ミルフィーユ状に入れていく。いったん凍らせることで実をほぐしやすくして、梅の発酵を早めるためだ。


「ファンキーな生き方ぁ〜        ファンキーな死に方ぁ〜♪」


せっかくの日曜日に雨はまだ降っている。
コトコトと片手鍋が音を立てている。
ふと韓国・太田市の高速バスターミナルで来るはずもない
人をずっと待っていた昔を思い出す。あれもウメジャンの頃。
現実に戻ると妻は寝室で寝息を立てていて、
僕は青梅が出すアクを時折すくい取っている。
サニーデイ・サービスの「街角のファンク」が繰り返し流れている。


「ファンキーな生き方ぁ〜        ファンキーな死に方ぁ〜♪        遅かれ早かれ僕たちは          甘いキャンディーを探し出して 」

汲めども尽きぬもの

 31周年目のバンドの新曲とは思えない、エレカシの『Easy Go』。前例踏襲をきっぱりと拒む猛々しさに、ブラウン管を通して気圧される自分がいた。NHK-BSの『The Covers』で初めて聴いた。カッチョイイ〜〜。


 表現っていうのはなぁ、オメェ、こういうことなんだよ。


 ボーカル担当の宮本浩次からじかにそう叱咤されている気がした。汲めども尽きないものがそこにほとばしっていたから。


 エレカシのHPを見ると、ちょうど来月の日比谷野外音楽堂のライブ予約が、週末に予定されていることを知る。2日後に予約を申し込む。第1志望の指定席のみ、1点突破できなければ縁がなかったことと割り切る。
 テレビで何かを感じて、予約するまでの心のフットワークが自分で確認できただけでじゅうぶん。心が動かなくなったら、今の商売は続けられない。


 今から20年以上前、同じ日比谷野音エレカシを観た。友達2人を連れてのライブだったが、まだブレイクする前のバンドの客席は、ほぼ大半がヤローだらけ。その後、『今宵の月のように』でブレイク後、知人からチケットを譲ってもらってライブに出かけた時は、女子中高生に囲まれて浦島太郎みたいな気持ちにさせられた。世の中はそんな「ウサギとカメの物語」を消費しながら更新されていく。


 日比谷夜音での宮本は、アンコールを求める野太い声も拒絶してステージには2度と現れなかった。当時好きだったのはアルバム『生活』に収められた『偶成』。 Youtubeで探したけど見つからなかった。夜音からの帰り道に左斜め前を歩く10代のやせっぽちな少年が、連れの子にふと漏らした言葉は今でも忘れない。「宮本、戦ってるよな」。
 

したたりおちるうた(あいみょん in 六本木ヒルズアリーナ)


 夕方の空の下、彼女の唄声がきれいに伸びて広がる。セーラー服で飛び降り自殺した女の子を素材にした、『生きていたんだよな』でオープニング。


「(前略)
 精一杯勇気を振りしぼって彼女は空を飛んだ 
 鳥になって空をつかんで
 風になって遥か遠くへ 
 希望を抱いて飛んで
 生きて生きて生きて生きて生きて
 生きて生きて生きていたんだよな
 (中略)
 最後の「さよなら」は誰にでもなく
 自分に叫んだんだろう
 さようなら さようなら  」


 この日は歌われなかった『貴方解剖純愛歌〜死ね〜』は、こんな歌詞から始まる。


「あなたの両手を切り落として
 私の腰に巻きつければ
 あなたはもう二度と他の女を抱けないわ   」


 あいみょんは「愛」をひっくり返して、叩きわって、引きちぎる。そこからこぼれ出てくる「刹那」や「憎悪」や「憤怒」が駈けだしたり、シャウトしたりする旋律をまとって唄がしたたり落ちる。

「東京うなじ」クルーズ〜隅田川と人生を下りまくる



 東京メトロ浅草駅5番出口地上口に出ると、あの神谷バーを中央に、映画『ALWAYS三丁目の夕日』さながらの橙色に染まる街並み。川向こうにはスカイツリーが望める。気温28度もあつた日中からは一転、川岸から涼しい風が頬に。これぞ4月下旬の水上バス日和。先週末に「TOKYO CRUZE」前で、沖縄から上京した友人らと待ち合わせ。お上りさんを連れての、隅田川舟下り&銀座・老舗肉料理店ツアーを企画した。


 日もとっぷりと暮れた隅田川縁に降りると、きれいに舗装された遊歩道が伸びていた。これは絶好のジョギングコース!日の出桟橋行き水上バス乗り場に列を作るのは、我々3人以外は外国人観光客が多く10数名とガッラガラ〜。
 乗船時間約40分で780円。缶ビールで火照った頬に心地いい風を受けながら、水上バスは五十路オヤジの人生のように加速しながら下っていく。銀白色に輝くスカイツリーが、赤いランプを灯した橋と交差しながら遠ざかり、右川岸には佃島や八潮のタワーマンション群が順に望める。


 車道から見えるのが「表の東京」だとすれば、隅田川からは普段見られない「東京のうなじ」を、こっそりと覗き見している気分。船上ゆえに写真もブレる。アルコールも少し入って風と波間に僕らも、東京うなじも揺れている。
 日の出桟橋からは少し歩いてタクシーでJR新橋駅まで移動。銀座で老舗肉ビストロ「マルディ・グラ」で夕食。ジューシーなハンバーグと、沖縄アグー豚がうまかった。でも、楽しみにしていたモツ料理が早々に売り切れで残念。

空回りする四川愛(ラブ)〜四川フェス(新宿中央公園)

 

 むせるほど濃厚な唐辛子と山椒の匂いが鼻をつく。夫婦でランチタイムに出かけた新宿中央公園は、午前11時半頃には辛いもの好きな男女でゴッタ返していた。20代から40代の日本人と、欧米系外国人も意外と多い。手分けして3つのキッチンワゴンカーの行列に並んだ。


 合計5品を公園のベンチで食べてみた。旨味の後から辛味がくる、陳家私菜のよだれ鷄が美味。麻婆豆腐は違う店から2品購入したが、やっぱりご飯無しだとキツイわ。しばらくすると、口の中がしびれてヒィーヒィーしてきて、味覚がどこかへ飛んだ。


 結局、麻婆豆腐2品を1つにまとめて、よだれ鷄の残りを持ち帰るはめに。明日の最終日にフェスへ行かれる方は、各自ご飯持参をお勧めします。でないと満腹感にたどりつけないまま、ただただヒリヒリヒィーヒィーしますよ。

幸か不幸か、いいか悪いか

 長い付き合いの書籍編集者からメールが届き、東洋経済オンラインでの拙記事の反響を喜んでくれた上で、こう書いてきた。
「前にも話しましたが、ルポの主戦場は、幸か不幸か、いい悪いは別にして、最も読まれうる、という意味で、オンラインに移ってきているのかもしれませんね」


 ルポというには、小首を傾げたくなるような短い文章量でしかない。だが、書店そのものが加速度的に街中から消えていき、近所のスーパーやコンビニの雑誌売り場も、店舗入口付近から奥まった場所に、あからさまに撤退、あるいは縮小している。


「ザ・斜陽産業」然としたアナログ業界の暗澹たる現実。背筋を伸ばしてそれと向き合えば、ネットで人目に触れるテーマと切り口を探り、フルーツパフェの先端の、その一口目だけでも美味しく味わってもらえる情報発信のやり方を研ぎ澄ますしかない。